ギャラリー収納が参加するサスティナブルプロジェクト「OCEAN」の季刊誌Vol.5に寄稿した記事です。
廃番にしないよく考えられたデザインは人類を救う
幼い頃からレゴブロックが大好きだった。幼い頃と言っても現在64歳の私が幼い頃となると半世紀以上前の話である。
おもちゃはレゴだけでなく、マッチボックスやプラレールでもよく遊んでいたが、マッチボックスは次第にスロットレーシングに、プラレールは鉄道模型にと、年齢と共に遊びが変わって行った。だが、レゴはその後も作っては壊し、壊しては作ったものだ。
レゴの良さはその色彩やジョイントの感覚、エッジの精度、パッケージデザインなど数えきれないほどの魅力にあるが、なんといってもそのパーツの多さだと私は思っている。多いといっても現在のレゴに見られるシリーズ物のプラモデルの様な、その組み合わせでしか使えないパッケージ商品の特殊パーツではなく、当時のレゴは、本来の2×4の突起から広がるベーシックパーツとベースプレートが基本だ。特殊パーツはせいぜい窓やドア、玄関ぐらいである。それらの少ないパーツを駆使して自宅や近所の家、学校、未来の家などを作っていた。
建築家の中には私と同じく、幼い頃レゴでよく遊んだと言った話を聞くが、私は建築家ではなく家業の収納家具メーカーのオヤジになっている。
私の父親が社長だった頃はまだ世の中にモノが足りてなく、「作ればなんでも売れる」と言われた時代で大変儲かったそうだ。
やがてバブル景気がはじけ、良く考えられたコンセプトを持った商品でなければ売れない時代がやって来た。
当時すでに修行先から家業に戻っていた私は、商品開発を任されていた。ミラノサローネにも毎年通い、その流れを見ているうちに、日本の収納家具は今後大きな変化の時代を迎える気がした。そして収納家具の商品開発をする際、先ず頭に浮かんだキーワードは『ロングセラー』と『定番』、そしてそのミッションは『廃番にしない』と言う事だった。
もちろん35年以上前のわたしには、モノを長く使い続けることがCO2の削減に役立つなど、まったくもって考えもしなかったことではあるが…。
ではどの様な商品を開発すれば廃番にせずに永く使い続けられるかと考えた時、幼い頃から大好きだった、レゴの様なコンセプトを持った収納家具を作ろうと思い立った。ベーシックで飽きのこないデザイン、骨格がしっかりした丈夫な作り、使いやすい、経年による劣化が少ない素材、家族構成や持ち物の変化に柔軟に対応できる圧倒的なアイテム数、引っ越し時も次の住まいで組み換え可能なモデュール、そして修理や部品供給が永続的にできるように、顧客とパーツの管理等を整えた。
その甲斐あって商品化から35年間、改良を重ねながら現在も同じ商品を作り続けており、リピーターも増えてはいる。しかし、レゴの様には儲からない。モノづくりにおいて、同じモノを作り続けるのは簡単な様で、理屈に合わない大変な事なのである。
メーカーにとって『廃番にしない』と言う事は、資本主義社会において利益を出すという市場メカニズムに逆らう行為で、新商品の発売サイクルが長くなり、パーツ在庫が増え、開発速度も遅くなり、メーカーにとっては課題の多い手段なのである。しかしながら、一時的には循環が鈍っても長期的に使える良いものであれば、必ず元に戻ると信じている。
廃番にしない→良いモノを長く使い続ける→廃棄物を減らす→CO2の排出削減、と言うモノづくりの観点から少々営業寄りの話になってしまった。使う側には「修理するより新しいモノに買い替えてもコスト的にはあまり変わらない」とか「新しいモノは燃費や電力消費量が少なくて済み結局お得」と言う考えがあり、確かに修理しながら使い続けるとなると、部品代金以外に修理に伴う物流コストや人件費等が掛かってきてしまうのも事実であり、一筋縄ではいかない。
そこで、政策として消費者が廃棄処分する際のコストを大幅にアップし、その処分費を財源に、修理代金の補助に回すのはどうだろうか。単純計算だが、例えば12万円のオフィスチェアの廃棄処分費が1脚3万円かかるとし、シートの張り替え費を5万円とした場合、その内3万円を張り替え補助金で賄えれば、新しいシートの椅子が2万円で手に入る事になる。そうすれば処分費を払い新しい椅子を買うよりも、シートの張り替えを選択する消費者が増えるのではないか。そして30年以上使われた椅子は廃棄処分費が無料になる様な施策を打ち出せば、シート張り替え可能な丈夫な椅子の人気が高まり、廃棄物も減ると思われる。そのような会社を訪問した時に、その会社の評価も上がる気がする。
これは一つの例に過ぎないが、家具に限らず家電、自動車、住宅などあらゆるものに高額の廃棄処分費と廃棄処分費免除年数、そして同期間のメンテナンス継続期間の表示を義務付ければ、廃棄物は激減すると思う。但し経済的にはかなりのダメージがあり、不法投棄や廃墟も増えるかもしれない。それらの覚悟を持ってでもCO2の削減に取り組むかである。
次に我々消費者である。もともと日本には「もったいない」と言う文化があった。過去形になってしまうのは、敗戦後の焼け野原から奇跡の復興を遂げる際、戦勝国アメリカの使い捨て文化の影響をもろに受けて、「もったいない」と言う言葉を忘れてしまっていたからだ。近年SDGsや地球温暖化に対する意識の高まりにより「昭和の頃は良かったよね」と言った感覚(昭和の空は灰色だったけど)で、消耗品に関してはリサイクルが進み、「姉のおさがり」の代わりに古着屋が人気を集め、「買い物カゴ」はレジ袋を経てエコバッグに、シャンプー等も詰め替え容器が普及し始め、徐々にではあるが廃棄物を少なくしている。
一方、電化製品、家具、自動車、住宅といった耐久消費財の場合は比較的高価なものが多く、またサイクルも長い。それをさらに長いサイクルにするのは単に修理して使うだけでなく、丁寧に使い込まれたモノの美しさを理解するセンスや愛着が必要となってくる。
デンマークに住むデザイナーの友人は、60年代のフォルクスワーゲン・ビートルを大切に乗っている。彼のビートルには黒のナンバープレートが誇らしげに付いており、黒ナンバーの付いた古い車はデンマーク政府から自動車に掛かる税金を免除されているそうだ。車の初年度登録から年数が経過するにつれ、法定費用が高くなり車検も行わなければならない日本とは大違いである。黒ナンバーのビートルで街を走っていると、子ども達から羨望の目で見られるそうだ。古い車を単にオンボロと思わず『カッコいい』と思う国民の文化意識の高さ、年式が古くとも部品を供給または再生するメーカーの姿勢、そんなヨーロッパの国々に精神的な豊かさを感じる。
さて、長々と同じ様な事を書いてきたが、世の中のモノづくりメーカーは一体何を作ればいいのか、日本政府はどの様な政策を打ち出せばいいのか、我々国民はどの様な生活をすればいいのか、答えは簡単には見つからない。しかしモノを作るときも、政策を決めるときも、モノを廃棄するときも温暖化の事を常に考え、大規模な山火事が起きても、台風や地震といった自然災害が起きても諦めずに、少しずつ二酸化炭素の排出を減らしカーボンニュートラルを目指していくしかない。そのうちに大量の二酸化炭素を酸素に変える装置も実用化されるかもしれないし、砂漠の緑化ももっと進むかもしれない。そして無理のないところで二酸化炭素の排出量を適正に保つ社会にしたいものだ。
国連広報センターによれば2030年までに温室効果ガスの排出量をほぼ半減にすると目標を掲げている。片やテレビの映像では、同じ人間が侵略・内戦・テロ等の破壊行動を繰り返し、大量のCO2を排出している。
悲しいかな、これが現実なのである。
SDGsが聞いて呆れるぜ!
これ以上書くと益々ボヤキになりそうなので、この辺で筆を置くことにする。
ギャラリー収納・大谷産業株式会社
代表取締役 大谷竹男